郷土史料展示室(騎西城)
埼玉県加須市にある騎西城は、かつてこの地の歴史の舞台となった城跡と、その歴史を今に伝える郷土資料展示室を兼ね備えた施設です。中世の平城である史実の騎西城は、周囲を湿地に囲まれた天然の要害、別名「沼城」として知られ、戦国時代には関東の勢力争いの最前線として重要な役割を果たしました。築城時期は定かではありませんが、康正元年(1455年)に古河公方・足利成氏に攻略された記録が初めて登場します。
戦国の世が動く中で、騎西城は幾度も攻防の舞台となりました。永禄6年(1563年)には、あの軍神、上杉謙信にも攻め落とされています。謙信が「四方が沼で囲まれており、非常に攻めにくい城だ」と書状に残した記録も残っており、その堅固さがうかがえます。江戸時代に入ると、松平氏や大久保氏が城主となり、一時は城下町の整備が進められましたが、寛永9年(1632年)に廃城となり、約180年の歴史の幕を閉じたのです。
現在、多くの人が「騎西城」として思い浮かべる天守風の建物は、史実の城の姿を忠実に再現したものではなく、1975年(昭和50年)に婦人会館として建てられた模擬天守です。実際の騎西城に天守は存在しませんでしたが、この模擬天守は現在、郷土資料展示室として活用されており、加須市の歴史を学ぶための大切な役割を担っています。建物は鉄筋コンクリート造りの3階建てで、城跡の土塁が残る場所とは離れた、外堀にあたる部分に建てられました。このユニークな建物自体が、城下町の歴史を後世に伝えるランドマークとなっています。
この郷土資料展示室では、城跡の発掘調査で発見された貴重な出土品や、旧騎西町の歴史に関する資料が多数展示されています。特に注目したいのは、市指定有形文化財の十六間筋兜です。戦国時代の名残を感じさせるこの兜は、城跡から出土したもので、歴史ファンならずとも必見の資料と言えるでしょう。また、城の周囲には、本丸・二の丸・天神曲輪と連なる連郭式の縄張りが設けられ、堀の底を凸凹にして敵の足止めを狙った複雑な構造の障子堀が採用されていたことが発掘調査によって判明しています。かつて難攻不落と言われた城の工夫を知る手がかりとして、城郭マニアの関心を集めています。
この郷土資料展示室の3階にある回廊からは、城下町を見渡す雄大な眺望が楽しめます。市街地の先に、富士山や筑波山、日光連山といった雄大な山々を望むことができ、天候の良い日には遠く東京スカイツリーの姿を捉えることもできるのです。模擬天守の建物からは、わずかながら遺構として残る騎西城土塁跡も確認でき、往時の姿に思いを馳せることができます。
| 住所 | 埼玉県加須市根古屋633−2 |
|---|---|
| 電話 | 0480-62-1223 |
ホームページ
1975(昭和50)年に婦人会館として建てられました。現在は郷土史料展示室として公開しています。史実の騎西城(私市城)は、土塁や塀を廻らした平屋の館でしたが、天守閣を持つ城……
