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築地の歴史ある街並みの中にそびえ立つ聖路加礼拝堂は、学校法人聖路加国際大学に併設されている、キリスト教の深い愛の精神をかたちにした聖路加国際病院の中心的な建物です。
この礼拝堂の歴史は、1901年(明治34年)に米国聖公会の宣教医師ルドルフ・B・トイスラー博士が診療所を開設した聖路加病院の創立に遡ります。博士は病院全体をキリスト教の理念に基づいて運営することを目指し、「礼拝堂は聖路加の中心的役割を果たすべき」という信念を持っていらっしゃいました。現在の礼拝堂は、関東大震災とその後におきた火災で倒壊・焼失した旧礼拝堂を経て、1936年(昭和11年)に竣工しました。礼拝堂は聖路加国際病院の「心の心臓」として機能し、完成当時は病棟の各階からバルコニー席へ直接出てお祈りができる特別な設計が施されていたそうです。患者さんが日常の中で祈りに触れられるようにという、トイスラー博士の温かい願いが込められています。
建物の設計には、建築途中で大きな変化がありました。当初はモダニズム建築の先駆者アントニン・レーモンド氏が担当しましたが、トイスラー博士の強い意向により、より伝統的な様式である近代ゴシック様式へ変更されることになったのです。その後、アメリカ人宣教建築家であるジョン・V・W・バーガミニ氏が設計を引き継ぎ、本格的なゴシック様式の教会建築として完成させました。この歴史的な経緯は、単なる機能美を越えて、キリスト教の愛を体現する精神的な象徴としての建物を追求した結果と言えるでしょう。聖路加礼拝堂は、その文化的・歴史的な価値から、東京都選定歴史的建造物にもなっています。
礼拝堂内部に足を踏み入れると、高さ約20メートルに及ぶ荘厳な空間が広がっています。天井はゴシック建築の特徴であるリブ・ヴォールト様式で、床にはイタリア産のトラバーチンや大理石が使われ、壁や天井の一部には、耐火性に優れ、温かみのある風合いを持つ抗火石が貼られています。この抗火石は、関東大震災の教訓から選ばれたもので、建設当時の人々の安全への願いが込められた素材です。また、窓を飾るステンドグラスもバーガミニ氏のデザインで、予算の都合で聖人画を避け、抽象的な図案が選ばれたそうです。この抽象画には、キリスト教の殉教の歴史を象徴的に表すという深い意図が込められています。
他にも、礼拝堂の重要な要素として、高さ約13メートルの巨大なパイプオルガンがあります。ドイツ・バロック様式で作られたこのオルガンは、2077本のパイプを持ち、その荘厳な響きは、訪れる人々の心に静かな感動をもたらしてくれます。さらに、建物のシンボルである十字架の尖塔からは、カリヨン・チャイムによる聖歌のメロディが日に三回、築地の街に響き渡ります。この美しい聖ルカ礼拝堂は、学校法人聖路加国際大学の施設であり、現在も礼拝の場として使われています。礼拝への参加はどなたでも可能ですが、病院の敷地内にあるため、患者さんや関係者以外の方の立ち入りについては制限があります。営利目的のツアーや見学はご遠慮いただくよう呼びかけられていますので、訪れる際は、祈りの場としての静謐な雰囲気を大切にし、公式ウェブサイトで公開されている礼拝やコンサートなどの情報をご確認ください。この場所は、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の際、多くの被害者を受け入れた歴史も持っており、その役割は医療の枠を超え、人々の心の支えであり続けているのです。
| 住所 | 東京都中央区明石町10−1 |
|---|---|
| 電話 | 03-5550-7043 |

東京都中央区明石町にあります聖路加国際病院は、単なる医療施設にとどまらない、長い歴史を持つ近代建築のシンボルです。創設は1901年(明治34年)、米国聖公会から派遣された宣教医師のルドルフ・B・トイスラーによって、築地の外国人居留地であったこの地に設立されました。当初は聖路加病院としてスタートし、1917年(大正6年)には聖路加国際病院と改称されています。トイスラー院長は、関東大震災による病院倒壊の困難を乗り越え、日米両国の支援と募金活動を通じて大規模な病院計画を推進しました。その結果、1933年(昭和8年)に完成した旧本館は、当時の米国式設備が整った「東洋一の近代的総合病院」として知られ、医療、予防医学、看護教育の一大拠点となりました。トイスラーが掲げた「キリスト教の愛の心が人の悩みを救うために働く」という設立理念は、新病院となった今も、この場所の精神的な柱として深く根付いています。
この病院の大きな特徴は、近代建築史に残る貴重な建物が今も息づいている点です。旧病院棟のチャペルとそれに付属する旧病棟は、東京都選定歴史的建造物として大切に保存されています。旧本館の設計には、チェコ出身のアントニン・レーモンド、ベドジフ・フォイエルシュタインといった著名な建築家が初期に関わり、直線的なモダニズム建築が採用されました。その後を引き継いだ米国人宣教建築家のジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニは、そこに温かみのあるテラコッタ装飾やアールデコ装飾を巧みに加え、患者さんが快適に過ごせる病室を実現しました。
特に、1936年(昭和11年)に竣工した聖ルカ礼拝堂は、病院建築でありながら本格的な近代ゴシック様式で建てられ、病院の主棟と廊下で直結するという一体的な設計がなされています。天井の交差するリブ・ヴォールトや美しいステンドグラスは、病棟にいながらにして祈りの空間に触れることができるよう工夫された、特別な場所です。
そして、現在の病院の核となっている新病院棟は、旧病院の理念を受け継ぎながら、1992年(平成4年)に日建設計によって新たに建設されました。この新病院は、入院病棟をすべて個室としたシングルケアルームを画期的に採用したことで、医療福祉建築の分野で大きな注目を集めました。これは、患者さん中心の医療を実現するための先駆的な取り組みであり、病室の使い勝手やデザインが細部にわたって追求された結果、高い評価を受けています。新病院は、1994年に病院建築賞を受賞するなど、高い建築技術と医療への配慮が融合した建物として、今も医療の最前線で利用され続けているのです。病院という機能的な建物の中に、歴史的な重みを持つ礼拝堂や、患者さんの尊厳を大切にする最新の建築思想が共存しており、東京の明石町エリアの象徴的な存在となっています。
| 住所 | 東京都中央区明石町9−1 |
|---|---|
| 電話 | 03-3541-5151 |
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