起雲閣
大正8年(1919年)に稀代の海運王・内田信也氏の別邸として誕生し、その後は「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎氏の手に渡り増改築を重ね、戦後は旅館として太宰治や山本有三、志賀直哉など名だたる文豪たちに愛された歴史を持つ名邸です。現在では熱海市の所有となり、文化財として一般公開されている起雲閣は、まさに「熱海の三大別荘」と称された往時の輝きを今に伝える、唯一無二の存在と言えるでしょう。
起雲閣の最大の魅力は、和洋中の様式が見事に融合した独特の建築美と、それらを包み込む広大な日本庭園の調和にあります。約3千坪の敷地に配された建物は、純日本家屋の美しさを今に伝える和館「麒麟(きりん)・大鳳(たいほう)」や、ヨーロッパのデザインに日本の伝統様式や中国風の装飾が取り入れられた洋館「玉姫(たまひめ)・玉渓(たまけい)」、そして迎賓の役割を担った豪華な洋館「金剛(こんごう)」など、それぞれ異なる表情を見せます。
和館「麒麟」では、高い天井と広々とした畳廊下が特徴的な、贅沢な空間が広がります。内田信也氏が実母の静養のために建てたこの部屋は、簡素ながらも随所に職人の技が光り、庭園の緑が窓いっぱいに広がる様はまさに「侘び寂び」の精神を感じさせます。
一方、洋館へと足を進めると、その趣は一変します。「玉姫」に併設されたサンルームは、アールデコ様式を基調とし、大きな窓と色鮮やかなステンドグラスの天井、そして美しいタイルの床が陽光を浴びて煌めきます。多くの光を取り入れるため、天井だけでなく屋根までガラスで葺かれたその構造は、当時の建築技術の粋を集めたものと言えるでしょう。
「玉渓」は、中世英国のチューダー様式に日本の「名栗(なぐり)仕上げ」が取り入れられた、まさに和洋折衷の極み。暖炉の覆いに施されたサンスクリット語の飾りや、茶室を思わせる竹が用いられた天井など、細部にまで遊び心が感じられます。
そして「金剛」の棟に併設された「ローマ風浴室」は、起雲閣を象徴する場所の一つです。ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口は当時のまま残され、木製のタイルが敷かれた浴槽周りは、映画のロケ地としても度々使用されてきたその幻想的な雰囲気を醸し出しています。暖炉上部に施されたスペード、ハート、ダイヤ、クラブの螺鈿細工は、洋館では珍しい装飾であり、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
起雲閣は、単なる美しい建築物としてだけでなく、日本の近代文学史における重要な舞台でもありました。旅館時代には、太宰治が小説「人間失格」の一部を執筆したとされ、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎ら文豪たちの文学談義が交わされたエピソードも残されています。館内の展示室では、彼ら文豪と起雲閣の深い関わりがパネルで紹介されており、当時の文豪たちがこの場所で何を想い、創作に打ち込んだのか、その足跡を辿ることができます。
広大な敷地を彩る庭園は、季節ごとに異なる表情を見せ、訪れる人々を魅了します。特に新緑の季節や紅葉の時期には、建物と庭園が織りなす絶景に、思わず時間が経つのを忘れてしまうことでしょう。園内を散策しながら、鳥のさえずりや風の音に耳を傾け、静かで穏やかな時間を過ごすことは、日頃の喧騒を忘れさせてくれる至福の体験となるはずです。
起雲閣は現在、熱海市の文化財として一般公開されており、その歴史的・文化的価値を後世に伝える役割を担っています。
【タカトシ温水の路線バス 熱海 起雲閣】数々の文豪が訪れた名邸はどこ? 2019/3/30放送でも紹介
- 朝ドラ「花子とアン」の撮影にも使われた(九州の石炭王 嘉納伝助の屋敷)名邸宅。
- 部屋の貸し出し(和室)
市民:420円・営利目的:1260円 市民以外:840円・営利目的:2520円
| 住所 | 〒413-0022 静岡県熱海市昭和町4−2 |
|---|---|
| TEL | 0557-86-3101 |
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大正8年に別荘として築かれ、「熱海の三大別荘」の一つとして賞賛された名邸が基となる起雲閣。 市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる和館と、日本・中国・欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館があります。…
