飯田橋駅からもほど近い神楽坂の坂下で、長きにわたり多くの人に愛されてきた甘味処です。そのルーツは江戸時代末期の薬草店にまでさかのぼり、その後、寿司店を経て、1948年ごろに甘味処として再出発しました。神楽坂を代表する名店として、地元の方はもちろん、遠方からの観光客にも親しまれてきましたが、惜しまれつつ2022年9月に一度暖簾を下ろしました。しかし、伝統の味を絶やしたくないという強い思いと、ファンの熱い要望を受け、2025年7月18日に場所を移して待望の再オープンを果たしました。創業から160年以上の歴史を持つ、神楽坂の粋な風情を今に伝える名店です。

紀の善の最大の魅力は、その変わらない「あんこ」と「味」への深いこだわりです。再オープンにあたっては、以前から25年以上にわたり製餡を担ってきた職人さんが再び腕を振るい、先代の「あんこ いのち」という教えを胸に、伝統の味を忠実に再現しているところが特筆すべき点です。あんこの素材にも徹底的にこだわり、つぶあんには大粒で香り高い丹波大納言小豆を、こしあんには色艶の良い十勝小豆を厳選し、毎日店内で丁寧に炊き上げています。着色料は一切使わず、素材本来の美しく上品な藤色に仕上げられているのが特徴で、すっきりとした甘さが特徴です。また、器も以前から使用していた神楽坂の老舗陶器店「陶柿園」から取り寄せたものを使うなど、店の醸し出す雰囲気や趣も大切に受け継がれています。親子三世代にわたって通うお客様もいらっしゃるというエピソードからは、このお店が単なる甘味処というだけでなく、神楽坂の「止まり木」のような、人々の記憶が幾重にも重なった場所であることがうかがえます。

看板商品のひとつであるあんみつも、多くの人に愛されてきた逸品です。風味豊かな国産の天草から手づくりした寒天は、歯ごたえが良く、なめらかなこしあんとの相性も抜群です。季節のあんみつも人気で、特に大ぶりのカリフォルニア産高グレードあんずが贅沢に添えられた杏あんみつは、甘酸っぱさとさっぱりとした甘さが心地よく、常連さんから人気の高いメニューとして知られています。店内は1階と地下1階の2フロアで構成され、かつての店舗を思わせる小上がりの座敷席も設けられており、落ち着いた和の空間でゆったりと甘味を味わえるのも魅力の一つです。

そして、創業160年を超える紀の善の代名詞とも言えるのが、先代の女将さんが考案した抹茶ババロアです。この品は、ほんのり苦みのある濃厚な抹茶の風味が際立つなめらかなババロアに、こだわりのつぶあんと、ふんわりと軽い生クリームが添えられています。抹茶のほろ苦さ、あんこのふくよかな甘さ、生クリームのまろやかさが三位一体となった、世代を超えて人々を魅了し続ける上品な甘味です。その他にも、夏の時期には冷たい氷宇治金時や、冬には心まで温まる白玉ぜんざいや粟ぜんざいなど、季節ごとの甘味が用意されています。また、以前はお食事メニューとして提供されていた御赤飯や鴨ぞうすいといった品も、今後の季節の移ろいに合わせて再開が検討されているそうです。神楽坂の街の賑わいのなかで、いつの時代も変わらず人々の心を和ませてきた伝統の味を、ぜひご堪能ください。