【王様のブランチ】親子丼発祥!老舗の絶品親子丼『鳥料理 玉ひで』100年グルメ #ごはんクラブ 2025/11/29放送

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人形町駅「鳥料理 玉ひで(たまひで)」

日本橋人形町に250余年の歴史を持つ、軍鶏(しゃも)料理の専門店です。創業は1760年(宝暦10年)、江戸時代中期に初代の山田鐡右衛門(てつえもん)が妻の「たま」とともに店を始めました。もともと山田家は、将軍家の前で鷹狩りの獲物である鶴をさばく「御鷹匠(おたかじょう)」という職を務めており、血を見せずに肉に直接手を触れないという格式高い家伝の技を持っていました。その高度な技と、鳥を扱う専門性が、この店の原点になっています。屋号は当初、初代夫婦の名から一字ずつ取った「玉鑯(たまてつ)」でしたが、明治30年頃に5代目の秀吉の代になってからは「玉鐵の秀さん」という愛称で親しまれ、現在の「鳥料理 玉ひで」という名が広まったと伝えられています。長い歴史の中で、一子相伝の味と技を代々受け継ぎ、軍鶏料理の味を現代に伝えてきた貴重な一軒として知られています。

このお店の歴史を語るうえで欠かせないのが、今や全国に広がる元祖親子丼の発祥の地ということです。看板料理である軍鶏のすき焼き、軍鶏鍋の〆として、残った割下を卵でとじてご飯にのせて食べるお客様の様子を見て、5代目の妻である女将さんが、それをより食べやすい一品料理として考案したのが始まりです。1891年(明治24年)頃に誕生し、当初は出前でのみ販売していたものの、多忙な日本橋や兜町の界隈で瞬く間に人気を集め、名物料理となりました。また、江戸時代から続く軍鶏鍋の味わいにも、店の格式の高さを示す特徴が見られます。当時の割下は、保存がきく味噌や砂糖を使うのが一般的でしたが、この店では大飢饉の際に砂糖を使わず、醤油とみりんだけで作る製法を継承しています。日持ちのしない贅沢な調味料である醤油とみりんだけで作る割下は、当時の「鳥料理 玉ひで」が相当な高級店であったことを示すエピソードです。現在もその秘伝の割下と、代々受け継がれた技で、軍鶏本来の旨さを最大限に引き出す料理を提供し続けています。

特にランチタイムには、元祖親子丼を目当てに多くの方が足を運んでいます。この丼に使われている鶏肉は、しっかりとした歯ごたえと深い旨みが特徴の「東京しゃも」です。この軍鶏は、昭和50年代に東京都と共同で開発され、「鳥料理 玉ひで」の料理に合うよう、餌の選択から先代が関わって育てられた特別なものを使っています。また、親子丼に欠かせない卵にもこだわりがあり、東京と福岡の養鶏場の卵をブレンドした特製のものを使うことで、鶏肉の旨味をふんわりとしたやさしい食感で包み込んでいます。そのほかにも、夜の席で親しまれているのが、創業以来の看板商品である軍鶏鍋です。浅い鍋で軍鶏の皮、モモ、ムネ、手羽、つくねといった様々な部位と、ネギ、舞茸、豆腐、白滝などの具材を煮て楽しむ鍋で、日本のすき焼きの元祖とも言われています。鶏のだしで野菜を食べる鍋とは異なり、肉を主体に味わう贅沢な鍋として、今も江戸の味を伝えています。コース料理では、同じく人気の鳥すきや、軍鶏の胸肉やもも肉を専用鍋でさっと焼く新感覚の焼しゃぶなども楽しめます。食後の甘味には、オリジナルの玉五プリンも人気です。このプリンも特製のブレンド卵を使っており、とろけるような舌触りが特徴で、お好みでブランデーを添えて、芳醇な香りと一緒に優雅なひとときを過ごせます。老舗の味を守りながらも、時代に合わせて変化を取り入れ、多くの人々を魅了し続ける「鳥料理 玉ひで」は、日本橋人形町の歴史とともに歩む名店です。

  • 元祖親子丼(スープ・漬物付) 2800円
  • 人形町コース 11000円
  • とく親子丼 1900円
  • 天然白レバ親子丼 5500円
  • しゃもづくし親子丼 3700円
住所 東京都中央区日本橋人形町1-17-10
電話 050-5597-1901

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